とにかく働きました。マックに注ぎ込める時間があれば、喜んで全力投球するようにしました。お盆も、ゴールデンウィークもクリスマスも、大晦日も、元旦・正月も、20歳の成人式の日も毎年働きました。祝日や連休は、大学はもちろん休みでしたし、空手の稽古も休みなので、ここぞとばかりに働きました。
AJCCに出場して全国レベルを経験したこともあり、そこから得たものを発揮したい、自店舗に還元したい、という熱い想いもあったのかもしれません。
勤務最終年の2002年はマックがオフィシャルスポンサーの日韓サッカーワールドカップの年でした。期間中は制服もワールドカップ仕様になり、まさに総力を挙げてのお祭りのようなプロモーション活動が行われました。伝説の一戦、アルゼンチンVSイングランドが札幌ドームで行われた、あの年の6月の札幌の街の雰囲気やお店の大混雑が懐かしい。
さて、大学4年の後半くらいになると、本職である医師への準備に本腰を入れ始めなくてはなりません。大学病院での臨床実習や研修先の就職活動が本格化してきます。継続的に勤務することが困難になり、大学5年生になる前に卒店を決心しました。
マネージャーになり、お店も任せてもらい、北海道チャンピオンとなった思い出。熱い友情で何度も朝まで飲みに行き、忙しい時も励ましあい、働いた本当に信頼できる戦友。色々なことを教えてくれ、任せてくれた優秀な社員さんたち。『トップマネジメントとは何か』を体現して教えてくれた大きな器(うつわ)の店長。それらを手放さなければならないこと(戦友たちとは今でもつながっています)。築き上げてきたものはあまりに大きく、後ろ髪が強く惹かれる思いでした。
しかし卒店が近づいていくうちに、指導してきた後輩たちが『あとは僕たちが富沢さんのマック魂を引き継ぎます』、と口々にいってくれていたことに大きな達成感と安堵感を感じ、潔く退く(しりぞく)気持ちの区切りがつきました。僕は後輩に分身をつくることができたし、僕がいなくとも僕の魂をバトンタッチした☆さんや、僕の分身たちがいてくれる。ゴミ出しクルーからはじまり、マネージャーになり、人材育成までを経験させていただいたマクドナルドに生涯、深謝します。
今でもマックによく行くのですが、行くたびにその店のマネージャーの立ち位置を確認し、カウンターの接客、厨房のクオリティ、店舗のクレンリネス(清潔)等もついつい確認してしまう自分がいます。一生涯の宝となった職業病と思っています。
物語は『マクドナルドの次は』に続きます
『せたがや内科・消化器クリニック』院長は医療×ホスピタリティを追求します!