マクドナルドでは語りつくせないくらい、数多くのことを経験させていただきました。
最初に板についた仕事は、ハンバーガーをつくることや接客業務の前に、閉店後の清掃業務やゴミ出しでした。清掃業務は床(ポリッシャー)とシンク(洗い場)、グリル(グリルの清掃)の3つのパートに分かれるのですが、それぞれに新人の皆が強いこだわりをもって、競うように店舗の清潔を保っていました。シンクは☆さんの横に出るものはいない、とか、あの人の拭き上げがすごい、など。(☆さんの純白のシンク用エプロンをまとった姿がフラッシュバックします。)
ゴミ出しは、たくさんの大きな段ボールやゴミを巨大な台車に乗せて、2人がかりで地下街のゴミ管理場(臭い。。。)に持っていくのですが、効率よく作業するのがとても難しく、お世辞にも好かれる仕事ではありませんでした。
店内のゴミ入れ(サンキューボックスといいます)から出る大量のごみだけでなく、資材や資材を管理していた段ボール。台車の重心を低く保つためにゴミを載せる順番や配置を考え、地下街で大きな台車が通行人の邪魔にならないように巧みに操る操作技術。単純作業にみえますが、こだわりと経験が大事な業務でした。
『富沢にゴミ出しをさせたら右にでるものはいない』とまで言われ、ゴミ出しクルーの異名を持っていました。言われるたびに誇らしかったですし、『ゴミ出しは富沢さんから直接教わった』、とまで後輩たちが自慢げに語り継いでいました。(どうしてクリニックのブログで、ゴミ出しについて熱く語っているのでしょうか。すいません。一芸一能の精神で、強いこだわりを持っていましたので。)
卒店時に後輩たちがよせてくれた色紙の一部をアップします。
ゴミ出しについて『この人はすごいひとなんだ、と思った』と後輩が書いてくれています。ちなみにこの写真は一番最初の18歳の入店時の写真です。自信なさげ。
1年くらい、クルーとして経験を積んだのちに、勤務態度を評価していただき、店長代理というマネージャーの役職を拝命いたしました。マネージャーを勉強中の2000年ころの写真です。藤田社長との貴重なツーショット。夢と希望に満ちています。
マネージャーの業務は人の流れを予想しながら、カウンター・フロアーでの接客から、厨房まで臨機応変にポジションをとり、店舗を巧みにまわす(運営する)。商品提供の過程で、よどみが生じるポジションをいち早く察知し、素早く対応し適切に改善。また、その日の売り上げ管理や、店舗のクローズ(閉店業務)、あるいはオープン(開店業務)。天候や行事から人の流れを俯瞰して予想し、そこから数日先までの売り上げの予測を立てて、バンズやレタス、ポテト、ナゲットなどの資材の発注。期間限定のプロモーション活動の戦略構築。店内や駅看板のポスターはどのような配置にして、何を売るか。ピーク時間帯やアイドル時間(比較的暇な時間)帯に沿った厨房、カウンター、フロアー等のクルーのポジショニング。自分のお店での新人教育のみならず、新規開店店舗への出張新人教育。
数えきれないほどの大切な業務を任せていただきましたし、そのためにたくさんの勉強をさせていただきました。
マネージャーになって良かったことの一つに、マクドナルドの組織の中にあるハンバーガー大学に参加させてもらったことです。これは店長代理のみならず正式社員さんや店長、それ以上の役職の人も一律に、学ぶ場です。Confidential(社外秘)マークがついた、複数のテキストに沿って『接遇』や『品質管理』、『清潔管理』などの具体的なことだけでなく『リーダーシップ』と『マネジメント』についても体系的に学習させていただきました。
社外秘なのでここではそれ以上かけませんが、今読み返しても感動することばかり書いてあります。気になる人は直接、桜新町まで聞きにきてください。
最後の写真は2001年7月の全国大会時の写真です。スマイルが緊張でひきつっています(笑)。
まだまだマックについて語ります。マクドナルド③へ続く。
世田谷区桜新町、用賀の『せたがや内科・消化器クリニック』院長は学生時代、マクドナルドのマネージャーでした!