僕は、学生時代に飲食系、肉体労働、サービス・販売業などのアルバイトを約30種経験しました。
初めての仕事は高校時代の新聞配達。膝まで積もった深い雪の日でも毎日、決められた時間に日々のニュースをお客様に届ける大切な仕事。いつも普通に届けられていた新聞ですが、届ける側になって、初めて新聞販売店の工夫やこだわり、大変さを学ぶことができました。
1998年、大学1年生の夏に札幌駅に『アピア』という地下街の商業施設が開業。ここに新規出店する『マクドナルド札幌アピア店』で、大学に入って最初の仕事を始めました。ふと、新聞の求人広告がそこだけ輝いて見え、これだ!お店の立ち上げに参加できる!と思い、即応募しました。
どこでも誰でも、日本のみならず世界中で知られた企業。地球上でもっとも知名度の高い飲食店。新規開店ということもあり、ピカピカの店舗。求人倍率の高い中から、めでたく採用されとても嬉しかったのを覚えています。
医学生のアルバイト、というとおそらく古今東西、今も昔も家庭教師や塾講師で、時給はマクドナルドの3倍以上、といのが定石です。家庭教師とは、受験勉強を頑張ってきた学生たちに与えられる特権のようなアルバイト。もちろん、僕も家庭教師も2件前後、マックと並行して常にかけもちしていました。
しかしながら、飲食店でバイトをする医学生は1割にも満たなかったと思います。家庭教師以外の医学生のバイト比率が、他の学部と比較して圧倒的に少ないことが疑問でしたし、今も同じ気持ちです。
僕がマクドナルドを選択したのは、いろいろなことをやってみたい、という好奇心もありました。卒業してすぐ社会人として、さらに同時に人の命と健康を守る医師になる前に、会社の仕組みや他職種のコミュニティーを少しでも学びたかったからです。また、いろいろなコミュニティーの現場の声がわからないまま、医師という特殊な職業に就くことはできない、という『違和感』『危機感』も肌感覚で感じていました。卒業した後、医師という一本道を歩むわけですから、医師ではない社会経験を積極的に積みたかった、という気持ちが強く、どんどん守備範囲を広げました。
マクドナルドでは様々なバイト仲間にも恵まれました。入れ替わりは早かったと思いますが、常時50人~70人くらいのクルー(マクドナルドではアルバイトのことを、同じ船に乗る、という意味でクルーと呼称します)がいる店舗規模でした。流行りの格好をした女子高校生、腰パンの男子高生。車好きの一流企業を目指す熱い大学生。20代の主婦から60歳目前の主婦。フリーター、パチスロのプロ、葉巻の愛好家。ジェネレーションギャップやコミュニティーのギャップを感じつつも、周りにまったく医学生がいないことが新鮮で、違う価値観をもった貴重な戦友たちと働くことができたことは生涯の宝です。
かくして僕は、朝は私服で登校し医学部の講義。午後は実習で白衣。夕方から空手部の道着。部活終了後から、札幌駅に直行し、マクドナルドの制服に急いで着替えて、仕事。そして最終電車で帰宅する、という一日に4回着替えるとても濃密で充実した生活!をおくっていくことになります。
マクドナルド②に続きます。
『せたがや内科・消化器クリニック』の院長はマクドナルドの北海道チャンピオンです!